
青根にある不忘閣は、歴代伊達藩主のご用達の「御殿湯」で、約470年前に滞在した正宗が、この感激を忘れないようにと「不忘」と名付けたことが由来とされています。 藩主専用の湯治場であった青根御殿は、明治時代に焼失したものを昭 […]
青根にある不忘閣は、歴代伊達藩主のご用達の「御殿湯」で、約470年前に滞在した正宗が、この感激を忘れないようにと「不忘」と名付けたことが由来とされています。 藩主専用の湯治場であった青根御殿は、明治時代に焼失したものを昭 […]
笹谷街道は、平安の時代から太平洋側の奥州と日本海側の羽州とを結ぶ重要な街道で、歌枕にも詠まれていいます。 関跡は、宮城県と山形県の県境の標高906mの笹谷峠にあり、みちのくの難所として聞こえ、「いなむや」「ふやむや」「む […]
平安後期に開創した圓長山円福寺には、支倉常長(はせくら つねなが)の墓があります。 支倉常長は、仙台藩主伊達政宗公の命を受け、慶長遣欧使節として時のローマ法王・パウロ5世に謁見した人物で、帰国後は幕府の禁教政策によりふる […]